ストーリーテラーateruiの物語

たくさんの人に伝えたい日本の歴史を中心に発信していきます。aterui(阿弖流為)とは、東北の地に生きた英雄の名前です。阿弖流為のように強く優しくありたいと思い、この名前をつけています。

戦艦大和と伊藤司令長官④

こんにちは、ストーリーテラーのateruiです。

 

戦艦大和と伊藤司令長官」という題で書いてきましたが、今回で最後となります。前回まで書いてきたように、大和は極秘裏に建造され、1941年12月の太平洋戦争の開戦と共に実戦配備され、終戦間際の1945年4月7日の沖縄海上特攻作戦において沈没しました。

 

沖縄海上特攻作戦で大和ともに命を散らした日本人は2,740名あまり。大和搭乗員、約3,000名の内、9割近くの人が大和と運命を共にしたことになります。その多くが、まだまだ未来を残した、若者でした。

 

映画「男たちの大和」の中に、次のようなセリフがあります。沖縄特攻に行く前夜の大和艦内の様子を描いたシーンです。

 

 

敗れて目覚める。それ以外に日本が救われる道はない。今目覚めずして、いつ救われる。俺たちは、日本が新しく生まれ変わるために、その魁(さきがけ)として散る。まさに本望じゃないか。


なぜ俺たちは今ここで死にに行くのかと、考えたことでしょう。未来を捨てざるを得なかった若者たち。己の命を懸けて、大和ともに海上特攻作戦に臨んだ日本人たち。日本の再興を祈って、戦いに赴いた日本人たち。

 

大和沈没約4か月後の8月15日、日本は無条件降伏を受け入れることになります。初戦は快進撃を続けた日本も、米軍の圧倒的な物量を前にしては、なすすべがなく、敗戦してしまいました。

 

敗れて目覚める。日本の未来のために、命を散らす。「自分たちは今ここで死にに行くけれども、きっと未来の日本人は、今よりも平和で輝かしい日本を創ってくれる。」そう信じていたのではないかと思います。

 

戦争を美化するつもりはありませんが、当時の日本人たちには、現代の日本人にはない、「大きなもののために生きる生き方」があったように感じます。

 

大きな時代の流れの中で戦争と共に命を散らさざるを得なかった若者たち。戦後70年以上が経過したとしても、当時の日本人たちの想いを無駄にしてはいけないと強く思います。

 

最後に、もう一つだけ、大和のエピソードを書いて、この記事を終わりにします。

大和の伊藤司令長官は、海上特攻作戦が決定されてから、少しでも若者の命を救おうと、ある努力をされています。

 

大和が海上特攻作戦に向かう直前の1945年4月3日に、海軍兵学校を卒業したばかりの

20歳前後の少尉候補生たち約70名が、大和と矢矧(大和と共に特攻作戦に従事した艦)に配属されます。

 

しかし、大和が出撃する直前の、4月5日の17時に、突然、退艦命令が下ります。結果、この約70名は、海上特攻作戦から外れることになります。

 

伊藤司令長官の命令でした。当時、大和は若者の憧れで、基本的には成績優秀者しか配属されないような、特別な艦でした。

 

乗艦が叶った、70名あまりの若者たちは、せっかく乗れた憧れの艦を、即座に退艦させられることに納得できず、決定された命令でありながら、艦長に懇願したそうです。「俺たちも、一緒に連れて行ってください」と。

 

しかし、その訴えは退けられ、約70名の若者が、特攻作戦から外されました。約70名を退艦させるというのは、伊藤司令長官の厳命でした。

 

その後、その70名あまりは全員が戦後生き残り、日本の再興に尽力することになります。もし大和と共に特攻作戦に参加していたら、その多くが命を落としたことでしょう。

 

伊藤司令長官が、最後に救った、70名あまりの若者の命。数日後に自らが死ぬことを自覚していながらも、救える命は救おうとした、伊藤司令長官の生き方。

 

第2艦隊の最高責任者として、数千名の命と共に海上特攻作戦に行くと決定してもなお、救える命を守ろうとしたその姿に、学ぶことが大きくあるように感じます。

 

どんな立場にあろうとも、己が正しいと思うことを貫き通すこと。強くて、そして、どこまでも優しい姿。今の日本人には、かけてしまっているものの一つのように思います。

 

なぜ、今から70年前の日本の若者たちは、命を懸けたのか。未来に何を託したのか。未来の日本に何を思い描いていたのか。

 

同じ日本という国に生きている私たちは、今の平和の時代に生きているからこそ、深く考える必要があるのではないかと思います。命懸けで守ってくれた日本。

 

過去に想いを馳せ、歴史を知り、その延長線上に今の自分たちの生活が成り立っているということを、ほんの少しでもいいから意識してみること。そうすることで、何か、みえてくるものがあると思います。

 

広島の呉に、「大和ミュージアム」があります。私もまだ行ったことがありませんが、遠くないうちに行きたいと思います。大和に興味がわいてきた方は、大和関連の本も読んでみてください。

 

それでは、これくらいで、「戦艦大和と伊藤司令長官」は終えたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました。

 

(完)