神風特別攻撃隊②
前回の続きで今回は、神風特別攻撃隊の概要を書きます。特攻平和会館のある、知覧の特攻作戦を中心に記載します。私の考えの整理のためにも、少し書いてみたいと思います。
特攻作戦従事者の概要
・隊員のほとんどは17~22歳の若者たち
・飛行機の胴体に250,500㌔爆弾をつけて、敵艦に体当たり攻撃を行う
・目的地は沖縄方面
・知覧から沖縄まで約650km。約2時間~3時間。
・飛び立った主な飛行場:知覧、万世、都城、大刀洗、台湾、熊本、鹿屋
・知覧飛行場からの主な特攻作戦期間:1945年3月26日~6月11日
・知覧から飛び立った若者の戦死者数:439名
・使用された飛行機は、最新鋭の零戦ではなく、旧式の飛行機がメイン
・旧式の飛行機のため故障で戻ってくることも少なくなかった
知覧からの特攻作戦が行われた背景
・1945年3月23日、米艦隊が沖縄海域に終結
・米軍の九州への上陸を防ぐためにも日本は沖縄を「死守する」必要がある
・沖縄に集結する米軍勢約55万人に対し、日本軍は約9万人という圧倒的な劣勢
・沖縄に集結する米軍艦隊、1500~1800隻
・日本には戦艦大和を主軸とした海軍の第2艦隊が存在したが、1945年4月7日の海上特攻作戦において大和率いる第2艦隊が壊滅したため戦艦等で沖縄を奪回するのは不可能
・1945年3月当時の日本には、すでに満足な航空兵力(飛行機・人員)、燃料がない
・体当たり攻撃が成功すれば(1機の飛行機で敵の航空母艦や戦艦を沈めることができれば)相手の損害は、日本の数百倍になる
・熟練パイロットの多くがすでに戦死していたため、特攻作戦による即戦力を求めた
以上、特攻を理解するための概要の情報です。(数冊の本、Web上の情報を整理して書いています)
日本の歴史を理解するには、時に、ある程度の情報を自ら集める必要があるように思います。
義務教育や、高校の教育ではほとんど教えられることのない歴史。さらっと流されてしまう歴史。
でも、日本人としては、忘れてはいけない歴史のように私は感じます。
今回は特攻の概要を書いてみました。
もう1、2回、特攻関連の記事を書きたいと思います。
(つづく)