庄内藩を救った西郷隆盛
今回の舞台は庄内藩です。
戊辰戦争当時、庄内藩は奥羽越列藩同盟の一員として、旧幕府勢力として薩長の新政府軍と戦いました。
藩主をはじめ、庄内に住む人々は、力を合わせて新政府軍と戦いました。
日本中の諸藩が、新政府軍に惨敗するか、ほぼ抵抗もなく降伏するかをするなか、庄内藩だけは、最後まで負けませんでした。
無敵の庄内藩とも呼ばれています。
初戦からほぼすべての戦いにおいて、新政府軍に勝利を収めました。
しかし、どんなに強い庄内藩とはいえ、数で勝る新政府軍に勝ち目はありませんでした。
結局、まだ戦う力を残したまま、庄内藩は新政府側に降伏を申し入れました。
そして、驚くほど寛大な処置で、庄内藩は降伏を認められることになります。
たくさんの薩摩兵を殺した庄内藩。
薩長を主力とする新政府軍の怒りを買っていたのにも関わらず、寛大な処置で済みました。
なぜか。
西郷隆盛がいたからです。
西郷隆盛が、もう許してやれと、庄内藩の降伏を、すんなりと受け入れさせました。
もし、西郷隆盛がいなかったら、庄内藩は会津を同じような運命をたどっていた可能性があります。
会津は、新政府軍と徹底的に戦い、最終的には敗北して、会津若松は戦火で荒れ、会津の土地を召し上げられて、青森の下北半島に移住させられました。
順当に考えれば、庄内も同じような運命をたどる可能性がありました。
でも、西郷さんが、それをやめさせた。
会津だけで勘弁しなさいと。
今でも山形県の酒田市や、鶴岡市に行くと、西郷さんを、土地の人たちが大切にしているのが伝わってきます。
あの時、西郷さんが助けてくれたから、今の庄内がある。
庄内の人たちは、この歴史を大切に語り継いでいるようです。
とても大切なことだと思います。
自分の土地の歴史を知ること。
語り継いでいくこと。
歴史を知ることは、時に力となります。
今回は、庄内の歴史を少し書いてみました。
日本の大転換点となった歴史。
まだまだ、書きたいことはたくさんあります。
では。