ストーリーテラーateruiの物語

たくさんの人に伝えたい日本の歴史を中心に発信していきます。aterui(阿弖流為)とは、東北の地に生きた英雄の名前です。阿弖流為のように強く優しくありたいと思い、この名前をつけています。

庄内藩を救った西郷隆盛

こんにちは。ストーリーテラー阿弖流為です。

 

今年、2018年は明治維新戊辰戦争)150周年の年。

 

今回の舞台は庄内藩です。

 

庄内藩とは、今の山形県に存在した藩です。

 

戊辰戦争当時、庄内藩奥羽越列藩同盟の一員として、旧幕府勢力として薩長の新政府軍と戦いました。

 

藩主をはじめ、庄内に住む人々は、力を合わせて新政府軍と戦いました。

 

日本中の諸藩が、新政府軍に惨敗するか、ほぼ抵抗もなく降伏するかをするなか、庄内藩だけは、最後まで負けませんでした。

 

無敵の庄内藩とも呼ばれています。

 

初戦からほぼすべての戦いにおいて、新政府軍に勝利を収めました。

 

しかし、どんなに強い庄内藩とはいえ、数で勝る新政府軍に勝ち目はありませんでした。

 

結局、まだ戦う力を残したまま、庄内藩は新政府側に降伏を申し入れました。

 

そして、驚くほど寛大な処置で、庄内藩は降伏を認められることになります。

 

たくさんの薩摩兵を殺した庄内藩

 

薩長を主力とする新政府軍の怒りを買っていたのにも関わらず、寛大な処置で済みました。

 

なぜか。

 

西郷隆盛がいたからです。

 

西郷隆盛が、もう許してやれと、庄内藩の降伏を、すんなりと受け入れさせました。

 

もし、西郷隆盛がいなかったら、庄内藩会津を同じような運命をたどっていた可能性があります。

 

会津は、新政府軍と徹底的に戦い、最終的には敗北して、会津若松は戦火で荒れ、会津の土地を召し上げられて、青森の下北半島に移住させられました。

 

順当に考えれば、庄内も同じような運命をたどる可能性がありました。

 

でも、西郷さんが、それをやめさせた。

 

会津だけで勘弁しなさいと。

 

今でも山形県酒田市や、鶴岡市に行くと、西郷さんを、土地の人たちが大切にしているのが伝わってきます。

 

あの時、西郷さんが助けてくれたから、今の庄内がある。

 

庄内の人たちは、この歴史を大切に語り継いでいるようです。

 

とても大切なことだと思います。

 

自分の土地の歴史を知ること。

 

語り継いでいくこと。

 

歴史を知ることは、時に力となります。

 

今回は、庄内の歴史を少し書いてみました。

 

明治維新戊辰戦争の歴史。

 

日本の大転換点となった歴史。

 

まだまだ、書きたいことはたくさんあります。

 

また、明治維新戊辰戦争に関する記事も書きたいと思います。

 

では。