東京裁判
こんにちは、ストーリーテラーの阿弖流為です。今日は、東京裁判にフォーカスします。
現代の日本に生きている限り、ほとんど耳にすることはないかもしれません。でも、日本の近現代史を追いかけていくと、東京裁判が日本に与えた影響の大きさが無視できないことが分かります。
見方によっては、日本を”悪”とするための裁判。この裁判を契機として、日本は”戦争犯罪国”というレッテルを張られることになりました。とても一回では書ききれる内容ではないので、何度か書きたいと思います。
東京裁判。1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた日本の「戦争責任者」を裁くための裁判。
東條英機をはじめ、陸軍大将、外相ら28名が裁判にかけられました。
審理はマッカーサーによって任命された米、英、仏、オランダ、ソ連、カナダ、ニュージーランド、中国、オーストラリア、フィリピン、インドの各国から選ばれた11人の判事によって行われました。
罪状は主に次の3つです。
「平和に対する罪」、「殺人」、「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」
結果は、判決前に病死した2人と病気のため訴追免除された1人を除く全員が有罪となりました。7人が絞首刑、16人が終身刑、2人が有期禁固刑という判決でした。
英、米、中国、ソ連、カナダ、ニュージーランドの6か国の判事による多数判決で判決が決まりました。その他の国の判事たちの中には、反対意見を投げかけた人たちもいました。
有名なのが、インドのパール判事です。後に、昭和天皇から、勲一等瑞宝章を授与されている人物です。
パール判事が何を訴えたのか。日本にとって、世界にとって非常に大切な内容です。これについてはまたのタイミングに書きたいと思います。
今日はここまで。
では。