明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法②
こんにちは、ストーリーテラーの阿弖流為です。今日も、明治憲法をテーマに書きます。
先日、石川県金沢市を訪れました。金沢には前から行きたいと思っていた場所があります。石川護国神社。
ここには、明治憲法を語る上で非常に大切な人の石碑があります。
清水澄博士。日本で最高の憲法の学者の一人。大正天皇、昭和天皇に憲法学を教えていた人物。
清水博士は明治憲法が葬り去られて、日本国憲法にとって代わるとき、つまり、 1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法施行日に遺書をしたためて、のち、9月25日に自ら命を絶ちました。
なぜか。
清水博士は明治憲法を是が非でも守りたかった。しかし、枢密院議長という立場上、GHQの意向を無視して、日本国憲法の受け入れを拒否することは出来なかった。
明治憲法がどんな想いによってつくられたのかを、痛いほど分かっていた清水博士。
それが葬り去られなければならないとなったとき、どれほど辛かっただろうか。
自決した際の遺言にこんな言葉があります。
『我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ』
国の将来を考える時、憂慮するしかない。しかし、私にできることは何もない。ならば、死して、幽界より日本を守り、天皇陛下の在位を祈願する。
自らにできることは何もないと悟って、自ら命を絶った、金沢出身の清水博士。
日本最高の憲法学者が命を懸けてまで守りたかったもの。
明治憲法。
たとえどんなに、日本国憲法が素晴らしかろうとも、簡単に捨て去っていいものではなかった。
今、日本人で、明治憲法のことを知っている人、理解している人がどれだけいるだろうか。
どういった背景で明治憲法が作られたのか。
今の日本に、世界にどんな影響を与えたのか。
今の憲法の是非を問う時、明治憲法にも考えを巡らせる必要がある。
単純に今だけをみていたのでは、脈絡が観えなくなる。
どれだけ引いてみることが出来るのか。
とても大切な視点。
明治憲法とは何かについては、また日を改めて書きたいと思います。