水戸藩と明治維新
こんにちは。ストーリーテラーの阿弖流為です。今日は、水戸藩のことを少し書きます。
先日、水戸にある回天神社を訪れました。
御存じの方はほとんどいないと思いますが、ここには明治維新の前後で亡くなった水戸藩の方々、約2,700名のお墓があります。
今の日本では明治維新の過程で水戸藩がどれだけ活躍したのかを知る機会はほとんどありません。
明治維新の源流となったものは『水戸学』という学問だったという話もあります。
水戸学は、戦後GHQによって発禁処分となった対象の一つです。水戸学に関する学問は禁止されたと言っても間違いではありません。
明治維新に大きく影響を与えた、長州の吉田松陰ですら、わざわざ水戸に留学して学んでいるほどです。
歴史の歯車がほんの少し違っていれば、水戸の明治となっていた可能性は大いにあります。
今の日本では薩摩、長州が政権を取った明治維新ですが、水戸が政権を取る可能性は大いにありました。
しかし、水戸藩は有為な人材の多くを、明治維新が起きる前に、水戸藩内部での争いによって失ってしまいました。(もちろん、当時の日本全体の社会変動の中での影響も多分に受けています。)
有為な人材が失われた水戸が、明治以降、日本社会の中で表立って活躍することは出来ませんでした。
今回訪れた回天神社には、なくなく散っていった水戸藩の方々のお墓、天狗党が最後に処刑された福井県敦賀にあった鰊蔵(にしんぐら)などがあり、水戸藩の歴史をじかにみることができます。
表の歴史と裏の歴史があるとするならば、水戸藩の歴史は、間違いなく後者にあたります。裏に追いやられた歴史ともいえるでしょう。
歴史を知るには、表の歴史だけでなく、消されてしまった、見えづらくされてしまったもう一方の歴史を知る必要性もあります。
今回の水戸の歴史はそんなことを教えてくれています。
水戸藩の歴史についてはまた書きたいと思います。
では。