ストーリーテラーateruiの物語

たくさんの人に伝えたい日本の歴史を中心に発信していきます。aterui(阿弖流為)とは、東北の地に生きた英雄の名前です。阿弖流為のように強く優しくありたいと思い、この名前をつけています。

戦艦大和と伊藤司令長官②

こんにちは、ストーリーテラーのateruiです。

 

前回の大和の記事の続きを書きます。

 

広島の呉において極秘裏に建造された大和は、1940年8月8日に海の上に浮かび、戦闘が出来るように、約1年かけて武装等の工事が行われました。そして、1941年12月7日に、主砲の試射(試し打ち)を行いました。

 

大和が誇る、46センチ砲は、帝国海軍にとっての悲願でした。世界のどこにもない、46センチ砲を搭載した超巨大戦艦。大和は46センチ砲という巨砲を搭載させるために建造された戦艦です。よって、その主砲の威力を発揮できなければ、建造は失敗だったということになります。

 

海軍関係者が注目する中での試運転。結果は大成功でした。大和の主砲の威力を示すものとして、主砲が発射される際の爆風があります。

 

大和の主砲が発射される時、甲板にいる人間は、爆風を避けるために「避難」しなければなりませんでした。あまりにも威力が強いため、甲板に人間が残っていると、爆風によって吹き飛ばされてしまうからです。とはいえ、主砲、副砲の試射は大成功でした。

 

大和の主砲テストが完了した翌日、1941年12月8日、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入していきます。見方によっては、太平洋戦争は、大和の完成と共に始まったとも言うことが出来ます。

 

世界最強最大の戦艦、大和はこうして誕生しました。そして、太平洋戦争の幾多の戦いに従事し、太平洋戦争末期の1945年4月7日に、沖縄海上特攻作戦において、アメリカによって沈められることになります。

 

(つづく)