ストーリーテラーateruiの物語

たくさんの人に伝えたい日本の歴史を中心に発信していきます。aterui(阿弖流為)とは、東北の地に生きた英雄の名前です。阿弖流為のように強く優しくありたいと思い、この名前をつけています。

明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法①

こんにちは、ストーリーテラー阿弖流為です。今日は、明治憲法をテーマに書きます。

 

みなさんは、明治憲法大日本帝国憲法)とは何か、ご存知でしょうか。そもそも、憲法とは何なのでしょうか。

 

憲法とは、国家の明確なビジョンを示したものであり、小国が独立するために大切なものでもあります。

 

日本で初の憲法が出来たのは明治維新により明治新政府が樹立されてから約20年後の1889年~1890年にかけてのことです。 

 

当時日本は、明治維新をきっかけに近代化に向けて大きく舵を取っている時でした。しかし、日本にはまだ憲法がなかった。

 

明治憲法制定の意義を説明するため、以下、一文引用します。

 

明治維新から始まり、西洋に負けない近代統一国家をつくろうとした先人たちの思いがさまざまな思想上の対立・分裂を乗り越え、一つに統合されていったのがこの明治憲法だったのです。そこにあったのはあるべき日本の希求とともに、「日本をなんとしても守り抜かなければならない」という国民的危機感でありました。(『明治憲法の真実』,伊藤哲夫著より引用)

 

この言葉にある通り、西洋に追いつき、追い越すため、また日本を守り抜くためにも、日本には是が非でも憲法が必要でした。

 

近代国家として、世界に認められるためにも憲法が必要。

 

そこで、明治天皇を中心として明治憲法大日本帝国憲法)制定に向けて、日本の中枢部が動くことになります。

 

明治憲法がどう作られて、何を中心原理としていたか。日本や世界に対してどのような影響を与えたのか。敗戦後に変えさせられた、日本国憲法との違いは何か、というようなテーマについては日を改めて書きたいと思います。

 

今日はここまで。

『人生の変化の話』

こんにちは、ストーリーテラー阿弖流為です。今日もまた、自分自身の変化の話を書きます。

 

私は大学時代、社会科学を専攻していました。社会の様々な仕組みを学びました。その中で社会にはとても大きな力が働いていることを学びました。

 

大学で学んで本を読めば読むほど、社会には理不尽な仕組みがあるということを理解しました。そして色々と調べていく中で、社会の仕組みを変えていくには、人間個人個人の変化が必要であることに気づきはじめました。

 

そして、人間の能力をどこまでも伸ばしていける方法を探しました。そんな時にある人と出会ったことによって、私はその方法を知りました。

 

ntechと呼ばれる技術と出会ったことによって、私は人間自身の大きな可能性を知りました。人間がずっととらわれてきた脳の限界を突破することによって、人間自身の可能性を大きく伸ばすことができるということを学びました。

 

社会には大きな仕組みが働いていけるけれど、人間個人個人が変化することで大きな力になる。それを実感しました。

 

人間には果てしない可能性がある。未来には大きな可能性がある。

 

これを知ったことによって私が未来に対して抱いていた大きな不安はなくなりました。そして、未来を自分の手で変えていけるという確信を持ちました。

 

未来への不安がなくなったことは、私が表現するアートの世界にも活きてくるようになりました。

 

この話はまた書きたいと思います。

京都に眠る会津の心

先日、京都を訪れた。

 

目的地は、金戒光明寺

 

有名な観光地ではない。

 

戊辰戦争の直前、京都守護職という京都を守るための役割を全うしていた会津藩主以下1000名が拠点とした場所。

 

そして現在、会津藩の300名以上の方が眠るお墓のある場所。

 

ひっそりとたたずむその中にも、強く訴えかける何かを感じた。

 

歴史の中に埋もれている会津の歴史。

 

何も語らないでも、強く、気づいてくれ、という訴えかけを感じた。

 

京都にいて東北を感じる場所。

 

是非、京都に行った際は訪れてみてほしい。

 

いつか、人を案内したいと思う。

 

今日はここまで。

歴史と自分の繋がり -自分の変化の話-

歴史と自分の繋がりを認識した時、自分の人生に深さが加わる

 

今から約3年前、ntechという認識時術を習得する研修を受けた

 

それ以来、日本や世界の歴史を深く観られるようになった

 

自分にとっての大きな変化

 

世界や日本の歴史と自分の人生は無関係ではない

 

深く関係している

 

現実の世界をどこから観るのか

 

たとえば、日本の歴史

 

今の形の日本があるのは、今より前の時代に頑張った人たちがいるから

 

歴史を追いかけていくと、自分との繋がりがみえてくる

 

大東亜戦争を戦った日本人がいなければ今の日本はない

 

もし、私が歴史を知ろうとしなければ、一生知らないままで日本で暮らすことになっていた

 

どれだけ日本の先人たちが凄かったのか

 

どんな意志で日本を守ろうとしたのか

 

何を成し遂げようとしていたのか

 

たくさんの本を読みながら、こういったことを知っていくにつれて、自分自身の人間としての深さが増していくように感じる

 

観えないところを観る努力をすること

 

歴史もその一つ

 

過ぎ去った過去の歴史は、自らの意志で知ろうとしない限り、知ることが出来ない

 

私は、ntechと出会って、歴史を知ることの意味を知った

 

自分にとっては非常に大きな変化

 

歴史との繋がりを自覚して生きること

 

知ることで観える世界が変化していく

 

ntechと出会ったことで歴史に対する認識が変化した

 

これからも私は、歴史を知り、自分を変化させていきたいと思う

 

今日はここまで

 

では

台湾で知った日本の歴史

こんにちは、ストーリーテラー阿弖流為です。今日もまた、台湾で知った日本の歴史を書きます。

 

歴史を知ることはなぜ大切なのでしょうか。

 

ある場所に訪れたり、建物を見たりするとき、その背景を知っているのと知らないのとでは、全く見え方が異なります。

 

たとえば、今回台湾で知った日本人の偉人の一人に『後藤新平』という方がいます。まだ本を読んでいる最中なので今書ける情報だけ書きます。

 

日本の首都東京。1923年に関東大震災が発生しました。10万人余りが犠牲となった、大災害。この震災から東京を復興させた人物こそ、後藤新平さんです。

 

台湾国立博物館を訪れた時、児玉源太郎さんの銅像と共に、後藤新平さんの銅像も展示されていました。

 

台湾4代総督、児玉源太郎。児玉と共に台湾の近代化に大きく貢献した人物が、後藤新平後藤新平東京市長等を歴任し、関東大震災が発生した時、日本の中で復興のための指揮を取った。

 

後藤新平岩手県奥州市の出身です。ここは東北の歴史上、最も大切な場所と言っても間違いではありません。東北の抵抗の歴史を作った、アテルイの故郷。

 

そんな場所から、台湾にも大きく貢献し、東京の復興にも大きく貢献した後藤新平さんが生まれているという事実。

 

今まで30年間日本で生きてきて、全く知ることのなかった歴史。台湾に行かなければ、おそらく、後藤新平さんを知ることはなかったと思う。

 

東京駅を作ったのも、後藤新平さん。東京駅、東京を訪れるとき、後藤新平さんを思い出す日本人が、果たして現代にどれくらいの数いるのだろうか。

 

歴史を知らなければ、ただの表面的なものしか見ることが出来ない。

 

なぜ、今の形の東京が出来上がったのか。誰が東京の原型を作ったのか。

 

歴史を知ることで深いところから物事を見ることが出来るようになります。たとえるならば、点で見るのではなく、線や面で観れるようになる、ということです。

 

後藤新平さんは、戊辰戦争で負けた仙台藩で生まれながら、明治新政府下で出世し大いに活躍した人物。非常に稀な運と、能力を持ち合わせた人物。東北の英雄。

 

台湾に行って初めて知った人。

 

まだまだ調べ始めたばかり。これから、もっともっと後藤新平さんや台湾の歴史を調べていきます。

 

また書きます。

 

では。

台湾の地で知る日本

こんにちは、ストーリーテラー阿弖流為です。今日は台湾と日本の歴史を書きます。2週間ほど前、台湾を訪れました。私にとって人生で2度目の台湾です。

 

前回行ったのが、高雄。今回行ったのが台北。前回行った時にも感じたことだけれど、台湾には昭和の日本があります。昭和を感じさせる日本。

 

台北駅の周辺を歩いたり、夜市を歩いたりするだけでも、どことなく感じる”日本”

 

なぜ、台湾で日本を感じることになるのか。少し歴史を見ていきたいと思います。

 

歴史をさかのぼっていくと、台湾は1895~1945年まで日本の統治下にありました。今回台湾に行くにあたって、台湾と日本の関係性を理解するために、歴史を少し調べた結果、今まで知らなかった日本が見えてきました。

 

なんとなく、台湾も日本の領土の一部だった、ということだけ認識していたけれど、それ以上のことは知らなかった。

 

2011年3月11日の震災後、世界一、義援金を送ってくれた国。台湾。世界一の親日国とも呼ばれる。この背景には、日本の統治時代の影響がある。

 

日清戦争に勝利した日本は台湾を割譲され、統治することになる。当時、台湾は近代化していない、”文明的に未開の地”だった。そこに明治維新を経て近代化した日本が、最先端の技術と知識を持って、入って来た。

 

日本が統治した結果、台湾国内の識字率は向上し、インフラ整備も大きく進んだ。学校を建て教育を行い、鉄道を整備し、世界最大のダムを造り、農地を広げていった。

 

欧米列強の植民地政策とは全く異なる、日本の統治の仕方。土地の人たちを教育し、近代化の手助けをした。今でも台湾では「日本精神」という言葉が大事にされているという。

 

勤勉、勇気、誠実、責任感、清潔などの精神。こういったものが日本統治時代、日本人から台湾に伝わって、いまでも大切にされている。

 

台湾のために人生をかけた多くの日本人たち。今でも大切にされている方もたくさんいる。日本の中にいたのでは中々知ることのできない、台湾の中でみる日本。

 

日本の外に出て台湾に行ったからこそ出会えた、今まで知らなかった日本。新たな観点が入ることで、今までみえなかった新しい日本がみえてきた。戦後の日本が失ってしまったものも、台湾をみることで少しみえてくる。

 

失いかえている日本を取り戻すこと。非常に大切なこと。台湾を知ると日本がわかる。何度かに分けて、台湾のことを書きたいと思います。

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生を変えた出会いと新しい教育-2

こんにちは、ストーリーテラー阿弖流為です。少し前、人生を変えた出会いと新しい教育というタイトルで記事を書きました。今回はその続きを書きます。

 

ntechと呼ばれる、全く新しい教育と出会ったことで私の人生は多きく変化しました。

 

ntechの教育では以下のようなことを教えてくれます。

 

人はなぜ生きるのか。

 

人間とは何なのか。

 

AIではなく、人間にしかできないことは何なのか。

 

宇宙とは何なのか。

 

日本人の本当の可能性とは。

 

とても大きな深いテーマばかりです。日本で普通に暮らしていると、このようなことを考えることはほとんどの人にとっては、あまりないと思います。

 

しかし、人間が生きていくうえで、無視できないことです。

 

これらのことを考えず、ただ漠然と生きることは出来るけれど、それでは浅い人生になってしまう。

 

どうして今の時代、日本に生まれているのか。

 

どうして人間は、有史以来戦争を続けているのか。

 

何が原因で人間は争うのか。

 

争いの原因が分かったとして、それを突破する方法があるのか。

 

ntechはこれらの問いに対する答えをすべて持っていました。

 

それまで私が抱えていた人生に対する大きな不安は、ntechを学んだことでなくなりました。

 

結果、私の人生は変わりました。

 

なんとなく暗い未来しかないと思っていたところから、未来は自分の意志で作ることが出来るという確信を持って生きることが出来るようになりました。

 

AIが登場してきた今日、人間にしかできないこと、人間の能力を最大限に生かすことが出来る教育は非常に大切です。

 

ntechはそれを可能にする教育でした。

 

前回も書きましたが、ntechと出会ったことで私の人生は大きく変わりました。

 

1つの出会いが自分の人生を変える。

 

それを教えてくれた出会いでした。

 

このテーマについてはまた書きたいと思います。

 

今日はここまで。

 

では。