”正しい歴史”とは
こんにちは。ストーリーテラーの阿弖流為です。今日は歴史にフォーカスしてみたいと思います。
みなさんは”正しい歴史”と聞いて、何を思い浮かべますか。例えば、日本人は小・中の義務教育、高校教育等を通して、教科書を中心に歴史を教えられます。
ここで考えるべきポイントは、教科書に書かれている歴史が”正しい歴史”ということが出来るのか、ということ。
日本でいえば、確かに、義務教育を受けるすべての子供たちに、ある一定の歴史観を伝える必要はあると思います。
しかし、その時に教えられる歴史とは何なのでしょうか。
”歴史は勝者によって記述される”という言葉があります。文字通り、歴史というものは戦いに勝った側、中心で勢力を持った側に都合のいいように書かれる、というものです。
つまり、負けた側の歴史というものは、基本的には、あまり伝えられません(もしくは、伝えられたとしても事実を捻じ曲げられてしまうことが多いです)
また、ある特定の国にフォーカスした場合、その国に都合のいいような歴史認識を与えるような歴史が教えられる場合が多いです。
例えば、中国の歴史認識では、日本が悪として記述されることが多いはずです。
仮に、どんなに証拠があろうとも、その証拠を採用しなければ、歴史はいかようにでも記述することが可能です。
正義も悪も、どちらの視点から観るかによって、全く異なるものになります。
ここまでみてくると、”正しい歴史”という言葉自体が、幻想であるということが分かると思います。
どの立場から、どの視点から記述されている歴史なのか。
ある特定の歴史を鵜呑みにした時点で、他の歴史を見失うことになる。
国と国同士の歴史、地域と地域同士の歴史を見る場合も、可能な限り、たくさんの視点で書かれた歴史を見ていく必要があります。
そうすることで、比較的偏りのない、歴史を見ていくことが出来ます。
少なくとも、”正しい歴史”というものは存在せず、歴史とは誰かがある視点に基づいて記述したものであるということを理解することが大切です。
仮に、現時点で、ある国同士が歴史認識を理由として、仲が悪かったとしても、それは解消していくことが出来るはずです。
お互いの立場、その当時の時代背景、世界の情勢等を加味して、お互いを理解していくことで、対立ではなく協力という方向性に進めていくことが出来ます。
国や立場の異なる人たちが協力していけるようになること。そのためには、一人一人が歴史というものを理解することも大切です。
今後、私がこのブログに、歴史のことも多々書いていくと思いますが、それの歴史ですら、ある特定の歴史であるということを理解しておいてもらえたらと思います。
今日はここまで。歴史にフォーカスして書いてみました。