ストーリーテラーateruiの物語

たくさんの人に伝えたい日本の歴史を中心に発信していきます。aterui(阿弖流為)とは、東北の地に生きた英雄の名前です。阿弖流為のように強く優しくありたいと思い、この名前をつけています。

封印された歴史 日泰同盟 -日本と台湾は同盟国だった-

こんにちは。ストーリーテラー阿弖流為です。今回は、日本とタイの歴史を書きたいと思います。

 

かつて、日本と台湾が同盟国だった時期がある。

 

ご存知でしょうか?

 

日泰攻守同盟条約(にったいこうしゅどうめいじょうやく)

 

これは、太平洋戦争中の1941年12月21日に日本とタイの間に結ばれた条約です。

 

日本は1941年12月8日、米英に対して宣戦布告しました。

 

当時、アジア諸国の中で、独立国として存在していた国は、日本とタイの2か国のみでした。

 

他のアジア諸国は欧米の植民地支配下にありました。

 

マレー半島後略を迅速に進めるために、日本はタイと協力関係を結ぶ必要がありました。

 

そこで、日本は、タイとの間に平和進駐協定を締結し、合法的にタイ領を経由してマレー半島後略戦を進めることが出来ました。

 

かつて、私たちは、義務教育の中で、

 

日本はアジアを侵略した。あの戦争は間違っていたと、教えられました。

 

しかし、

 

本当のところはどうでしょうか。

 

もちろん、日本軍が行ったことの中には誤りも存在するはずです。

 

戦争とはそもそも、平時の精神状況を維持するのが困難な状況です。

 

全ての行為が正しかったとは言いません。

 

でも、学校で教えられてきた歴史とは別の視点で歴史を観ることも大切です。

 

事実、タイとの間には同盟が結ばれ、ともに協力し、アジア諸国の独立に向けて力を合わせていました。

 

侵略することが目的ではなかった。

 

かつて、タイの首相を務めたククリック・プラモードさんの言葉に次の言葉があります

 

日本のおかげで アジア諸国はみな独立した

日本と言うお母さんは 難産して母胎をそこねたが

生まれた子供たちはすくすくと育っている

今日東南アジア諸国民が 米英と対等に話ができるのは

一体誰のおかげであるか

それは身を殺して仁を為した日本と言うお母さんが

あったためである

十二月八日は我々に

この重大な思想を示してくれたお母さんが

一身を賭して重大な決心をされた日である

我々は、この日を忘れてはならない

 

このような視点を持っている方もいる。

 

タイの国王まで勤め上げた人物の言葉。

 

教えられたこと盲目的に信じるのではなく、事実を探し出そうと努力すること。

 

歴史とは、ある特定の観点からとらえた歴史にすぎない。

 

太平洋戦争を取ってみても、

 

アジアを侵略した日本の歴史

 

ととらえるか

 

アジアを欧米の植民地支配から解放した日本の歴史

 

ととらえるか

 

どこに視点に立つのかで見方が全く異なってくる。

 

今回は日本とタイの関係性から太平洋戦争の歴史を観てみました。

 

他にも様々な歴史が隠されています。

 

日本にとってとても大切な歴史。

 

またどこかで書きたいと思います。

 

今日はここまで。

 

では。